五大老五奉行の覚え方はこれで決まり!

執筆者”歴史研究者 古賀芳郎

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歴史授業に出て来る豊臣政権末期制定の
五大老五奉行』の覚え方と意義を
手短にご説明いたします。

付録で『五大老』と『五奉行』の違い説明
加えてみました。

『五大老五奉行』メンバーの覚え方(語呂合わせ)とは?

五大老ゴロ合わせ

1597年制定

前田利家(まえだ としいえ)
徳川家康(とくがわ いえやす)
宇喜多秀家(うきた ひでいえ)
毛利輝元(もうり てるもと)
上杉景勝(うえすぎ かげかつ)

苺食うな、猿がいなくなる前の年、
いちごく、さるがいなくなるまえとし
1597年            前田利家

得にもならない家を買い、
とくにもならないいえをかい)
徳川家康

ウキっと叫んで盛り上がってる
うきっとさけんで もりあがってる
宇喜多秀家    毛利輝元

上へ行きすぎた影勝つか?
うえへいきすぎかげかつか)
上杉景勝

五奉行ゴロ合わせ

浅野長政(あさの ながまさ)
石田三成(いしだ みつなり)
前田玄以(まえだ げんい)
長束正家(なつか まさいえ)
増田長盛(ました ながもり)

朝のが長い石ジブリ、
あさのながい いしじぶり)
浅野長政    石田三成(石田治部少輔)

マエゲンなつかず家にいず、
まえげん なつかいえにいず)
前田玄以 長束正家

それでこうなりましたなあ!
(それでこうなりましたな)
増田長盛

その他このようなものもあります。
参考になりますよ。

<五大老>

う~来た(宇喜多秀家)
モテ(毛利輝元)
まくり(前田利家)←「まくり」の「り」は、「利家」の「利」
家康(徳川家康)

飢え過ぎ景勝(上杉景勝)

<五奉行>

まげ(前田玄以)
な(長束正家)
方が
ある(浅野長政)
意味(石田三成)
マシだ(増田長盛)

引用:楽天BLOG

 

 

徳川家康
《画像は徳川家康 銅像です》

五大老と五奉行の違い!簡単な説明とは!

五大老五奉行制は秀吉最晩年に作った政権
維持制度です。

分かりやすく云うと今の内閣のようなもので
五大老が大臣で、五奉行が事務次官
相当すると言われています。

そして、実務上は五奉行に以下の担当が
振られていました。

浅野長政  司法担当(法務大臣)

石田三成  行政担当(官房長官)

増田長盛  土木担当(国交大臣)

長束正家  財政担当(財務大臣)

前田玄以  宗教・朝廷担当

くらいの感じです。

しかし、豊臣政権の仕事イコール豊臣家の家政
の色合いがつよいので、私は必ずしも今の行政
組織には当てはまらないと思います。

”五大老”は強いて言うなら、大臣ではなくて、
有力都道府県知事クラスだと三成ら五奉行
は考えていた節があり、発信文書の署名
自分たちは奉行ではなく”年寄”
称し、五大老を”奉行”と呼んで
いたようです。

つまり、年寄の外様大名ではなくて、自分たち
こそ大老・年寄だと言っているんですね。

ですから大老は、、、

今の企業で言う『相談役・顧問』と
思われていたと云った方が実態
と合うかもしれませんね。

彼らは、総理大臣が豊臣秀吉から、徳川家康に
変わる事を良しとせず、後継総理は豊臣秀頼
だと考えていたという事ですね。

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五大老五奉行の序列を考える

私の個人的な意見ですが、

図式化すると以下のようだと思います。

大老

豊臣政権の制度上では:

徳川》前田》宇喜多》上杉》毛利

実態は:

徳川》前田・宇喜多・毛利・上杉

奉行

豊臣政権の制度上:

浅野》前田》石田》増田》長束

実態は:

石田》浅野・増田・長束・前田

大老ー奉行

豊臣政権の制度上:

大老》奉行

実態は:

徳川》その他

豊臣政権末期には、関東転封にて北条の
旧領を手に入れた徳川家康は256万石と
豊臣家より大きな当時最大の大名
なっていました。

その力を背景に豊臣政権内での存在感
は非常に大きく、秀吉の牽制装置も
なかなか機能しない状態でした。

まとめ

歴史勉強の覚え方のひとつとして、語呂合わせ
を初めて作ってみました。これで歴史の理解
が進めば幸いです。
豊臣秀吉の最後の政策となりますが、ここは
家康と豊臣家中とのやり取りが見所ですね。

正に、関ケ原の戦い』前夜の出来事です。
本編の『五大老五奉行』の記事が内容的に
豊臣政権末期の状況の一部として記述
しましたので、本編はその解説に
注力し、且つ、簡略化しました。

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